Jul 21, 2009
気にならないカマキリです。
私の左の肩に大きな点があります。結構目立つものです。しかし、私は全く気になりません。生まれたときからあるそうです。親は女の子だとかわいそうと考えたとします。水着と、正確な肩ひもの部分がほくろの位置になるので、隠れてしまいます。それで平気だった。私は気になるどころか大きな点があると金持ちになれば、誰か言ったことがあるので、好きです。汚れをクリアしてなることは女性に多い。それでも最近はあちこち系が確立されてきていることからも、男もこのような美容に陥っているようだ。以前は、男が化粧をしていれば、気持ち悪いと思われていたが、今はそんなことはなくなった。従って、男も汚れを消すことに必死に様子を見ることができます。
東京電力は6日、福島第一原子力発電所1号機の格納容器の水素爆発を防ぐため、早ければ同日夕方から格納容器内に不活性の窒素ガスの注入を始めると発表した。
1号機の原子炉内の損傷した燃料棒の被覆管ジルコニウムと水蒸気が反応してできた水素が、格納容器内に漏れている可能性が高く、酸素と結びつき水素爆発が起こる可能性が指摘されていた。
3月12日に水素爆発で建屋が吹き飛んだ1号機の原子炉は、燃料棒が一部露出し、炉内の温度が高い状態が続く。冷却のため毎時6トン注入されている水の分解などで水素、酸素が蓄積していると見られる。原子炉の冷却で、圧力が低下した格納容器内に、外から酸素が入ってくる量が増え、水素爆発の懸念が高まっていた。
格納容器に注入する窒素は約6000立方メートル。数日かけて注入する予定。東電では2、3号機でも同様の窒素注入を計画している。
東日本大震災の被害は、国宝や特別名勝にも及んでいる。文化庁によると、日本三景の特別名勝「松島」(宮城県松島町など)は、津波による甚大な被害が各所で確認され、国宝「瑞巌寺(ずいがんじ)庫裏及び廊下」(同町)はしっくい壁に亀裂が入ったり一部が崩れたりした。被害が確認された文化財は6日までに463件。同庁は文化財の散逸防止と保護のため「文化財レスキュー事業」に着手した。
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被害が確認されたのは▽国宝4件▽重要文化財127件▽特別名勝4件▽特別史跡5件−−など。多くは建物壁の崩壊や彫刻物の破損など地震による被害だったが、津波に襲われた松島では東松島市や塩釜市地域の一部が水没し、波によって珍しい形に浸食された奥松島の奇岩が崩落した。地元教育委員会からは「広い範囲に甚大な被害がある」と報告があった。
名勝「高田松原」(岩手県陸前高田市)に関しても全長約2キロに植えられた数万本のマツが津波でなぎ倒され、「生息樹木は1本だけ」との報告があった。
伊達政宗が建立したとされる瑞巌寺は、地震で壁に亀裂が入ったり一部が崩れたりした。水戸藩・徳川家ゆかりの「旧弘道館」(水戸市)では、時刻を知らせる「学生警鐘」が全壊した。
文化庁は、損壊建物の撤去などの過程で文化財が破損したり、適切な保全方法が取られないおそれもあると判断。1日から現地に学芸員を派遣し、移動可能な文化財を搬出して被害の少なかった周辺自治体に一時保管してもらうレスキュー事業を始めた。
一方で、松島町などでは地元住民から「津波が怖いので、復興住宅は付近の高台に造らせてほしい」との声が上がり、村井嘉浩・宮城県知事が国に住宅の移設を認めるよう、文化財保護法に基づく建築基準の緩和を要請。国は文化財の復興、再建方法の検討を迫られている。
文化庁は「津波被害が甚大な地域は現地調査もできていない。なるべく早く被害を確認したいが、住民の生活を考えれば文化財の保護に協力を求めるような状況にはない」と苦悩している。【篠原成行】
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「みんな元気ですか。私は長岡市の中学に通うことになりました」。東京電力福島第1原発の事故で新潟県長岡市に避難している福島県南相馬市の中学3年、石井佳奈さん(14)が各地に避難した仲間に向け、インターネットの無料動画サイト「ユーストリーム」で近況を報告した。同市のジュニア合唱団「MJCアンサンブル」で、8月の全国大会を目指していたさなかの被災。「またみんなで歌いたい」と、仲間との再会を願っている。
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南相馬市原町区の自宅は原発から30キロ以内の「屋内退避圏」にあり、石井さんは母真由美さん(42)と2人で、福島県飯舘村を経て、3月19日に長岡市に避難した。
避難所では、同級生も友達もいない。震災当日にわかれて以来、会っていない一番の親友のことが気掛かりだった。小学生のとき、いじめに遭っていた自分を「一緒に合唱やろう」と誘ってくれた。1週間後に、ようやく電話で連絡がついた親友から、仙台市の中学校に転校することを知らされた。震災前まで通った原町第一中には再び一緒に通うことができない。涙が止まらなかった。
山形や鹿児島などに避難したメンバーもいて、合唱団の仲間は離ればなれになった。「私はここにいるよって、みんなに伝えたい」。長岡市のNPO「ながおか生活情報交流ねっと」がメッセージのネット配信を呼びかけているのを知り、石井さんは手を挙げた。
「原発がなければ、みんなとバラバラになることもなかった。本当に悲しくてさみしい」。石井さんはカメラに向かって気持ちを吐き出す。南相馬に戻るめどは立たず、長岡市の中学校に転入する。それでも合唱は続けるつもりだ。「とにかく、みんなで歌いたい」。支え合ってきた仲間ともう一度、歌声を響かせる日を夢見ている。【岡田英】
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