Apr 26, 2010
気にならないカマキリです。
私の左の肩に大きな点があります。結構目立つものです。しかし、私は全く気になりません。生まれたときからあるそうです。親は女の子だとかわいそうと考えたとします。水着と、正確な肩ひもの部分がほくろの位置になるので、隠れてしまいます。それで平気だった。私は気になるどころか大きな点があると金持ちになれば、誰か言ったことがあるので、好きです。エステで汚れて五千円という文句にひかれて予約した。病院ではないので、麻酔は使用できない。かなりの苦痛だった。チリチリと焼いてジーンている感じだった。エステのスタッフさんが気を失った人は今までいないので大丈夫と言うが、専門家になってしまうのだった。さらに、五千ウォンからということでお支払いは、3万円近くした。汚れは薄くはなったが消えなかった。
【人・生き方】転機。話そう、話しましょう(17)三屋裕子さん
バレーボール日本代表として五輪に出場した三屋裕子さん(52)は引退後、教師、テレビ番組のコメンテーター、上場企業の社長と、さまざまな分野で活躍をしてきました。何にでも積極的に取り組む姿勢は、意外にも33歳で入学した大学院時代に培われました。(伊藤洋一)
◆2つの夢がかなう
出場すればメダル獲得は確実視されていた。しかし、ソ連(当時)のアフガニスタン侵攻に異を唱える米国に同調した日本政府は、1980(昭和55)年のモスクワ五輪ボイコットの方針を決定してしまう。
メダルを取って現役引退→大学卒業と同時に教師−の青写真は、これで変わった。「教師はいつでもできる。あれだけ練習したのに世界の舞台を見ていないのは悔しい」。実業団の日立に入り、次のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得した。そして帰国の2週間後には、国学院高(東京)の教壇に立っていた。
「金メダルには届かなかったが、2つの夢が同時にかなった」。26歳で努力を結実させた人生に満足していたという。翌年4月には学習院大の助手に。体育の講義、バレー部の指導など忙しい日々を送っていた。
◆“貯金”を使い…
しかし、無我夢中の3年が過ぎたころ、疑問が浮かぶ。「12歳でバレーを始め、『全国優勝』『五輪へ行く』という夢を追いかけていた。夢は将来への期待なのに、『五輪の三屋』という貯金を食いつぶしている気がして…。夢を追っていない自分に怖くなった」
当時、教えることが仕事の「五輪の三屋」には、講演会やシンポジウムの出席依頼が相次いでいた。豊富な経験からスポーツの良さは語れるが、いずれも主観的なもの。データや客観的な理論が必要と考え、「成績のためではなく、知らないことを学びたい」と人生で初めて思った。
1年ほど悩んだ末、学習院大を辞職し、母校・筑波大の大学院を目指すことに。「学習院大で教えていれば数年後には助教授になり、60歳を過ぎても勤務できる可能性が高かった。その安定は捨てよう、と」
運動生理学などを1年間勉強し、合格。学ぶ意欲に加え、都内の自宅からキャンパスまでマイカーで3時間もかかったことから、時間がもったいないと、週5日ぎっしり講義を取った。そのなかで自らの考えを一変させたものが、健康に関する講義だった。
「アスリートと運動生理学の理論は正反対。自分の容量をいかに極限へ上げていくかに対し、60%の状態で持続させるのが健康のための運動。無理をしたらけがする。頑張らないスポーツもあるんだ、と」
世はバブル経済が終焉(しゅうえん)を迎え、物欲より健康へのニーズが高まっていた。企業が運動部を支えられなくなり、地域でスポーツ環境を整える必要が出ていた。
その重要性を訴えているうち、地域密着を掲げるサッカーJリーグの川淵三郎チェアマン(当時)から声がかかり、理事に。それをきっかけに、企業経営者との接点も増えていった。社会活動に貢献する女性を顕彰している女性下着の訪問販売会社「シャルレ」(本社・神戸市)の選考委員も務め、それが縁で同社の社長に。すべて、33歳から2年間通った大学院時代がきっかけとなったのだ。
「この練習をしていて五輪に行けるかな?という不安に比べたら、小さいもの。うまくいくゲームばかりはつまらない。ちょっと難しいことを考えるのが楽しい」と屈託がない。
◆裾野を広げる
今では健康に関する企業研修やチームワークについての社員教育に呼ばれることも多い。自らの経験に加え、客観で伝えられるようになったのが大きい。
20年前には21兆円だった国民医療費が、現在は34兆円以上にまでふくれあがる。子供の体育環境には予算が組まれるが、高齢者の健康維持には手薄だと感じる。自らの健康は自分で守ってもらう手助けをしようと、運動の仕方を指導するNPO法人「健康寺子屋」を東京・四谷に設立した。
実績と知名度があるのだから、全日本などトップチームの指導者になってもおかしくないが、「代表を強くする仕事も尊いが、高い頂(いただき)をつくるためには、広い底辺が必要。誰かが頂を目指すなら、私は裾野を広げていこうと」。
当面の目標は、みんなが健康になるお手伝いをすること。超高齢化社会の日本を明るくするため、これからもスパイクを打ち続ける。
◇
≪Plus≫
−−3年前からNPO法人「健康寺子屋」の活動もされていますね
「ジムに行けない人でも、お寺なら気軽に来られるはずと、本堂を借りて教えています。(葬儀がない)友引とその前夜に限定されるのが、ちょっと残念ですが…。檀家(だんか)さん200人の前でPRしたのに、最初は5人。2年半で3クラスできるようになり、横浜や埼玉から来られる人もいます」
−−トレーニング内容は
「男性は肥満改善が目的。女性は骨粗鬆症(こつそしょうしょう)で寝たきりになるケースが多いので、ストレッチと体重をかけた筋力トレ。60代が中心で最高は76歳。“手抜きは大事、できないことは笑ってごまかせ”と、選手時代とは正反対のことを言っています」
−−反応は
「肩こりがなくなったと聞きますね。それに背中がきれいになる。後ろの筋肉を使うので、とくに肉がボコボコついていた女性はスッキリし、姿勢がよくなります」
【プロフィル】三屋裕子
みつや・ゆうこ 昭和33年、福井県生まれ。八王子実践高、筑波大学とバレーボールで活躍し、54年に全日本入り。56年に日立入社。同年のW杯のプレーが、女子バレーブームに火をつけた。59(1984)年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得。引退後は、国学院高や学習院大で教鞭(きょうべん)を執り、平成4年に筑波大学大学院進学(修士課程コーチ学専攻修了)。6年にスポーツイベントを企画する会社「サイファ」を設立し、代表取締役。16年6月から3年間、女性下着の訪問販売「シャルレ」(大証2部)の社長を務めた。
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